良寛 戒め の 言葉

公開日: 17.02.2020

乞食こそ、禅仏法の至上の生活。 良寛は冬が長く厳しい五合庵で 20年も暮らしたといいます。 良寛が持っている無所有の豊かさ。 その豊かさの裏にある 飢餓や野垂れ死にの恐怖。. 草の庵に 足さしのべて 小山田の 山田のかはづ 蛙   聞くがたのしさ. 明けて翌朝は、雨が上がっていて日の光が輝いていた。例の麦の粉をごちそうになり、二晩の宿のお礼にと少しのお金を置こうとしたが、「そのような物を何とも用せず 必要もない)」と断られた。そのままでは私の引っ込みがつかないので、それならこの書き付け用の紙をと差し出すと、それはよろこんで受け取ってくれた。.

之を求めて得ざることがあれば 心身更に憂愁(ゆうしゅう、 憂い哀しむ )す. k-styleの良寛の言葉(詩歌、愛語、信仰) 前編  こちらでは、おおくの人々に良寛さんとよばれ親しまれている、その人の言葉をとおして、その生涯と思想 (親しみやすさと優しい心、思いやりに満ちたあたたかな人間性、大切なその信仰) を見てゆくこととします。. 水茎(みずくき 、書 文字 )のあとも涙にかすみけり ありし昔のことを思ひて. 仏道修行者 僧侶)として、人々や社会に認められるための信仰 仏道)ではなかったのです。.

この時期の良寛は記録 作品等 をほとんど残していません(諸国において書いたものなどの多くは、後世まで残す人も無く、やがて失われてしまったと言えるでしょう)。したがって、どのような生活であったのかよくわかっていないのです。. 勉(つと)めよや後の世の子(し、 仏道を目指す人々 )、自(みずか)ら懼怖(くふ、 おそれ )を遺(のこ)すこと莫(なか)れ。.

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  • 名利(みょうり)纔(わず)かに心に入らば、海水も亦たうるおし難し (名利の欲を少しでも持ったなら多くの手立てを持ってしても、執着を捨てられなくなる) 。.
  • どれもある種 ある程度)の推測根拠をもっていて、全面的に否定し去る事は出来ません。これらの出来事あるいはこれに類した事柄が良寛の身に起こった可能性はあります。しかし、今のところ伝承を越える事実と断定まではできません。したがって、こちらでは詳細の記述は控えます。.

べーやんのたわ言・ざれ言・しれ言

香(こう)を焼(た)いて仏神に請い、永く道心 仏道求道心) の固からんことを願う。. 外面(げめん、 そとずら )は殊勝(しゅしょう)を逞しうして(たくましうして、 偽善をうまく見せかけて )他(か)の田野(でんや)の嫗(おうな、 老女 )を迷(まよ)わす。. ただ口腹(こうふく)の為の故(ゆえ、 食べたり飲んだりの生活の手立てのため )に、一生外辺(がいへん、 一生を仏道の真髄から離れた世界 )を騖(は)しる。. 譬(たと)えば清秋の夜に 月華中流 月影が川の流れの中) に浮かぶ. 一衣と一鉢 僧)の身であるが、病にかかってしまい、今やっと起きて香をたき坐っている。. 伊余此の語 言葉) を出す 時に人皆が嗤 笑) う. 遁世 とんせい)の際(きわ) 世を捨てようとした際).

  • この時期の良寛は記録 作品等 をほとんど残していません(諸国において書いたものなどの多くは、後世まで残す人も無く、やがて失われてしまったと言えるでしょう)。したがって、どのような生活であったのかよくわかっていないのです。. 真実 真理)のことばを一句、自身のものとしている事には及ばない、.
  • 神社の草庵に、これほど長い期間住んでいたということは、良寛の実践した信仰 仏道)が、世間 社会)の認める仏教、仏教教団、寺組織等に、いっさい縛られていなかった事を示しています。.

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1 人を想い、心を込めて書いた詩

時に人の嗤 笑) うは尚可なり. 伊余此の語 言葉) を出す 時に人皆が嗤 笑) う. 円通寺を離れて後、良寛は仙桂和尚の死の報せを(風の便りに)聞いたとき、 仙桂和尚は真の道者 仏道修行者)であった と詠んでいます。. 正に、ありのまま 真実)に自分自身の心を知るべし(汝自身を知れ)、と答えよう」.

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テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

この当時から良寛がこの世の名誉や財 僧侶としても含めて)を求めることなく、真の仏道修行者、清貧の僧へと向かう下地ができていったことを示しています。. 乞食こそ、禅仏法の至上の生活。 良寛は冬が長く厳しい五合庵で 20年も暮らしたといいます。 良寛が持っている無所有の豊かさ。 その豊かさの裏にある 飢餓や野垂れ死にの恐怖。.

今我れ苦に口説する(ねんごろにくせつする、 あえて苦言を呈する )も、竟(つい)に好心(こうしん、 単なる物好き )の作(しわざ、 行い )に非(あら)ず。. 宗龍については、良寛亡き後、良寛最晩年の法弟であった貞心尼が、師 良寛)から聞いた話を手紙に残しています。. 良寛は、当時 江戸末期)の社会にあって、少年期から多くの書物を手にすることが出来たのです。その意味においては、学問的に恵まれた環境にいた人でした。したがってこの言葉は、まず誰よりも自分自身に語りかけたものでしょう。.

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出家 (仏道修行者) の道心なきは、其の汚(けが)れを之れ如何(いか)にせん。. 嗤 笑) ひ 嗤 笑 ひて もし休(や)まずんば. 苦を以って苦を捨てんと欲して 之に因(よ)って長く綢繆(ちゅうびゅう、 もがき苦しむ )す.

知っておきたい:

コメント

  1. Takahiro
    円通寺を離れて後、良寛は仙桂和尚の死の報せを(風の便りに)聞いたとき、 仙桂和尚は真の道者 仏道修行者)であった と詠んでいます。.

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