まどか マギカ 叛逆 の 物語 考察

/ 10.08.2020 / Satoko

Twitter連携機能 を利用していると自動でツイートされます。. 重要なのは、鹿目まどかへの質問における回答の内容は、暁美ほむらにとって「自身の願いの内容の確認」にあたるということです。  鹿目まどかは、この質問を受け、(初対面のはずなのに、何かを知っているかのような素振りを見せる暁美ほむらに)戸惑いながらもこう答えます。. 暁美ほむらの前にはたびたび、「過ちを繰り返さない(犠牲を出さない)」ことと「目の前の人の現在の感情を重んじること」という天秤が現れ、そして彼女は多くの場合、犠牲を出さないことや、鹿目まどか自身を守ることを選ぶのです。  暁美ほむらはあくまで、「あなたは鹿目まどかに関わる人間だから、危害は加えないよ」という損得勘定だけで動く人物ではありません。上述の通り相手に対して申し訳ないと思う気持ちは十分持っており、しかしそれよりも「過ちを繰り返さない」ことが重要であると考えているのです。これはループによる独特の価値観であり、やり直しの存在しない我々の世界からその常識を理解するのは難しいかもしれません。.

円環その物は破壊せず、あくまで人間としての記録だけを抜き取るというやり方に、まどかの意思への尊重の片鱗を見ることは出来るのではないかと思います。 結局はほむら一人の判断ではありますが、魔法少女の救済その物は残っている訳ですから。 円環を維持しつつ、まどか個人も人として生きられる状態をほむらは目指していたのではないでしょうか. ほむらを導こうとしたその時、不意にほむらは妖艶な笑みを浮かべまどかの手を掴み、まどかの人間としての記憶を引き抜いてしまう。 それはまどかを、つまりは「円環の理」の一部を引き裂く行為であり、 ほむらのソウルジェムは、呪いを越えたおぞましい光へと染まりダークオーブに変貌していた。 そして世界は再び、今度はほむらの手で作り替えられていった。 インキュベーターすら理解に苦しむ状況に、ほむらは今までの行動そして今から行うそれは 全てまどかへの「愛」であること、神聖な神すら貶める自らを「悪魔」「魔なる者」だと語る。 人類の感情は制御しきれないと危険視したキュゥべえは、地球への干渉を止めようとさえするが、 まだインキュベーターには働いてもらう必要がある、とほむらに逃走を阻止される。 悪魔と化したほむらにより再構築された世界では、さやかやなぎさといった「円環の理」に導かれたはずの魔女たちとその使い魔が存在し、マミや杏子も生活していた。 さやかはことの顛末を理解していたため、ほむらの行為を厳しく糾弾するものの、 自らが「円環の理」の一部であるという記憶さえ失われゆく中では、 ほむらが悪魔であることは忘れない、と告げるに留まった。 やがて、見滝原中学で在学生として過ごすほむらのクラスに、アメリカからの帰国子女として、 まどかが転入して来た。 校内を案内している時、何か大切なことを忘れている気がする、と訝るまどかに、 ほむらは「秩序」と「欲望」のどちらが大切かを問いかける。 戸惑いつつも「秩序」と答えたまどかに、「いずれ敵対することになるのかもしれない」とほむらは言いつつ、 かつて受け取ったリボンを返す。 弦月の夜、ほむらは丘の公園にいた。 近くから物音がしたのを聞くとほむらは笑みを浮かべダークオーブを出した。 足元にはボロボロになったキュゥべえが倒れていた。.

円環の理とは、一体何なのか? 救済とは一体何なのか……? あの滅びかけた世界という認識でいけば、もうほむら、マミ、杏子しか存在しないんじゃないかなぁと。 そして、過去未来現在全ての魔女をと言っている。 つまり、あのほむらが魔女化したものは、救済できなかったこともあり、魔女ではなかったのか? (ソウルジェムの外で変わらない限り、直接的な救済は不可能なのか?.

本編での暁美ほむらは、解釈の余地が残っていた。女神まどかと同様に、まどかという『他者』に極限の『慈愛』を注げる『滅私』の主人公、暁美ほむら。その解釈はTV版の時点では可能である。だが、『叛逆の物語』はそういった『ほむら像』を徹底的に叩き潰した。ほむらの本質は断じて『滅私』や『慈愛 』 ではない。むしろ、徹底的な『自己の噴出』だ。まどかという欲望の対象を、彼女は自身の欲望として明確に捉えていたのだ。そうじゃないと、まさに言葉としてもそうだけど、『悪魔に身を売る 』『悪魔になる 』なんて、自己を消失させられる聖人には無理ですよ。それこそ『女神 』です。. 長大な記事に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。深く感謝申し上げます。7年遅れで、しかも他人の褌で考えを述べているだけの記事ですが、何か色々と抵触していればご指摘ください。  とりあえず現時点でまとめる感想としては納得が行ったので、また別の考えを巡らせることにします。.

1,2 SG SG. index2ch.

暁美ほむらは、鹿目まどかの母親にも似た存在となる決意をしました。誰かに石を投げられようと、誰にも理解されなかろうと、想うはあなた一人、鹿目まどかの幸せのためならすべてを投げ出す覚悟で、この場面でとうとう決心するのです。誰も傷つけたくないという自分の感情に別れを告げ、鹿目まどかを助けることを、もうためらいはしないと。  また、そこに全くの欲望がないわけではありません。「独りぼっちにならないで」に対し、 鹿目まどかと二人でいられるという暁美ほむら自身の願いと、鹿目まどかの「人間でありたい」という真の願いの両方を達成できる方法として、悪魔になり鹿目まどかを無理やり円環の理から引きはがすことを選択するのです 。. Posted by あ at

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もちろん、魔女の結界の張本人がベベであると断定し、ベベを傷つけることを厭わない描写は、巴マミに直接ではないにしろ危害を加える行為であり、敵対されても仕方のないことであり、人格や品性を疑う行為ではあります。特に、巴マミ自身に相談もなくいきなり武力行使に出る姿勢は、対人関係において誠実な姿勢であるとは言えないでしょう。  ここで思い出すべきなのは、暁美ほむらは劇場版前後編における時間遡行者であり、魔法少女たちへ説得を試みた経験もあるということです。しかし彼女の言葉を信じるならば、その結果は「誰も耳を貸さなかった」のであり、事が起きる前に説得が完了することは一度もなかった。ならば武力行使しかない。たとえ恨まれたとしても、先に手を打つことで今起きようとしている犠牲が防げるならば構わない。そう彼女は考えたのです。. 暁美ほむらが確かに持つ人間性 2. お気に入り 詳細を見る.

Posted by aoi at Posted by 日宮理李 at html ---以下引用--- メール「改編後の世界での魔女の扱いはどうなっているのか」 虚淵氏「魔獣がメインの世界の歪みであるのは変わらない。だから明確に魔女という存在は居ないはず。しかし、混沌を象徴するほむらがいるので、ほむら次第なんだと思う。設定は詰め切ってない。」 ---引用ここまで---. この遮断フィールドには巧妙な「調整」が施されており、外側からの干渉は遮断するが、 内側からは干渉できる仕組みになっていた。 すなわち、内部のほむらが望んだ『まどかをはじめとする一部の者たちだけ』は フィールドを通過して結界の中に招き入れられ、記憶を捏造されて、偽りの見滝原で活動していたのである。 魔女の結界内における記憶の捏造は、ほむら自身とまどかにまで影響していたからである。.

  • 受け入れた過去の自分への叛逆。世界の理への叛逆。女神への叛逆。『愛する存在への叛逆』。映画序盤の子供っぽい、頑なな、最早悪役じみた行動もここに来て明確に収束する。ほむらは『自分を決して曲げない』。結果として、比喩ではなくまさしく『世界を敵に回すことになったとしても』。 『女神を殺し(Gott ist tot! 作品の話題に入りましょう。単刀直入に言って、『叛逆の物語』(新編)は暁美ほむらが主人公であり、彼女が最もクローズアップされた作品であると考えています。前後編の彼女は、「まどかに守られるでなく、まどかを守りたい」の願い一つで、幾度も平行世界の見滝原をループします。  メタな視点で言えば、年にこの作品が放映されてから年の現在に至るまで、我々は様々なタイムリープもの・スターシステムの作品を鑑賞してきており、もはや見慣れた世界観に成り果てているかもしれません。それでも忘れてはならないのは、平行世界を何度もループすることは、キャラクターに対して、以下の点で大きな負担があるということです。.
  • ですが一つ言えるのは、悪魔はちゃんと人間なのです。生まれながらにして善人・悪人であるという性善説・性悪説の二元論に当てはめることはできません。「同じ人間とは思えない」としても「同じ人間である」ことを認めざるを得ません。暁美ほむらは冷血で人の心を持たない化け物などではなく、痛みや苦しみを分かち合える一人の人間でした。これだけは理解を拒もうとしてもどうしようもないのです。彼女が代弁した通り、人間の持つ「愛」とは、希望や絶望、善悪や損得を鑑みない狂った衝動であり、それは評価されるよう利用することもできれば、エゴイズムの極みであるかのようにふるまい他者を傷つけることもできますし、また、我々の誰もが持ちえる可能性を持っています。  究極的なことをいえば、愛とはエゴの表れであり、エゴのない人間は人間足り得ない。人は時折誰かを傷つけ、誰かを害し、時には誰かを助け、誰かと共生することになる。多くの人にとって価値基準とは、「正しいか、正しくないか」ではなく、「気持ちいいか、気持ち悪いか」でしかないのです。だからといって、彼女の罪が消えてなくなるわけでは決してありませんが。.

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Posted by madomagi at      . Posted by at. Posted by at. PR … 0331 view.

劇場版魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 あらすじ

ならば、ラストシーンの、半分に切り分けられた丘の上公園からの転落は何なのか。  私個人の解釈にすぎませんが、これは「暁美ほむらの心象風景」か、「鹿目まどかの心象風景」の二つに一つだと思っています。. アニヲタ、ゲーヲタの徒然草(仮) at 繰り返される朝の光景。同じようで何処か違う。 このアニメがカルト的な人気を得たのは、3. 受け入れた過去の自分への叛逆。世界の理への叛逆。女神への叛逆。『愛する存在への叛逆』。映画序盤の子供っぽい、頑なな、最早悪役じみた行動もここに来て明確に収束する。ほむらは『自分を決して曲げない』。結果として、比喩ではなくまさしく『世界を敵に回すことになったとしても』。 『女神を殺し(Gott ist tot!

7  . Posted by ZO at !

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私個人の感情を率直に述べるならば、暁美ほむらは「とんでもなくマブい」と言わざるを得ません。向こう見ずなところがあり、誰からの手も拒むような危ういところがありますが、それを天秤にかけても、自分の意思に忠実で、どんな障壁があろうとも疑念の払拭のためにたった一つの方法を選び続ける強さは貴いし、尊敬に値すると思います。彼女の説いた「愛」には確実に弱点があり、あまりに脆く儚いものですが、人間はそんなもんだよなあ、とつくづく実感させられるのです。そして、彼女が魅了された鹿目まどかもまた、底のない強い意志を持つ人物です。あまり共感されないのですが、私は前後編の結末で、鹿目まどかのあまりの優しさと最後の願いの選択に対し結構本気で泣きました。「一体この状況をどう覆すのだろう」というところで、ただのご都合主義な方法ではなく、暁美ほむらが辿った運命と決断を貴いと認めた上で、自らもその渦中に永劫飛び込んでいくことを決意したのです。それはあまりにも強すぎて、優しすぎる。これからの苦痛に対して向こう見ずで、それでも叶えたい意志に忠実で、そんな姿勢が途轍もなく美しかった。  ですが、危うい一面の部分は無視できないところです。とにかく二人とも石橋を叩く度合いが足りない。こうだと決めたことは突っ走るし、自分の行為は誰かのためになると信じ切っている節があります。それはやっぱり創作のキャラクターとして一貫していて素晴らしい点ではありますが、やはり現実の人間として近づけていくと、思い違いをただす前に事を起こしそうでヤバいな、というのが正常な判断だと思います。でもまあ、かっこいいので、やっぱり傍には置いておきたいとどちらといえば思います。.

ほむらがアルティメットまどかの力(記憶、人間部分だけ)を奪えた理由。 愛は、なしで。 この叛逆の物語で、1,2番の疑問点であろう出来事です。 考察1 < ほむら悪魔化の理屈 > 魔法少女の魂(希望)が穢れ(呪い)を溜め込むと、魂の形が変化して魔女(絶望)になる。 通常、「希望」から生まれた魔法少女にとって、「絶望」につながる穢れはマイナス要素だ。 ところが、ほむらにとってはSGが濁ることは、むしろまどかとの再会が近づくプラス要素。 SGが濁りきる魔女化は、ほむらにとって絶望どころか、まどかとの再会すなわち「希望そのもの」なのだ。 希望から生まれるのが、魔法少女。 絶望から生まれるのが、魔女。 では、魔女に「堕落する」こと自体が希望となったほむらは、何者なのか? そんなものは、魔法少女の概念に収まらない。魔女ですらない。 これまでの法則に縛られない、新しい存在。. かなり引いたところからこの場面を見れば、「円環の理を経験した記憶のある鹿目まどかがそう答えるならともかく、その記憶さえ持たない人間としての鹿目まどかの言葉を鵜呑みにするのは早計すぎないか」と言いたくもなるものです。ですが、ここまで述べた通り、暁美ほむらは誰もが経験したこともないような時間遡行を経て、願いの対象である鹿目まどかが今どうなっているのか確認もできないまま一人で戦い続けており、そんな中ようやく現れた生身の鹿目まどかの言葉を信じるのはある種当然のことでもあると思うのです。そして、鹿目まどかの「一人は耐えられない」という言葉も、嘘偽りや虚言ではなく、あくまで真実の一側面ではある。  そうして暁美ほむらは、自分の苦しみの自白の時よりも、ひときわ大きな涙を流してこう考えるのです。.

それは一つの愛の物語。 実に良いものを見た。最速で見てきました。とりあえず見に行った甲斐はあった。以下、ネタバレしかしないぐらいのノリで行きます。.

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